余命宣告なんてなければ生きている喜びや奇跡に触れることはないでしょう
トラブルがなければ乗り越えて安堵もない
『絶望』と『奇跡』の関係性について
『奇跡』の発生源は『絶望』であり絶望感なんてのは案外アテにならないことが多いものです
なのに多くの人が絶望感は信じるのに奇跡はすぐに忘れてしまいます
『絶望』も『奇跡』も主体的に受け止めましょう!!
つまり他人のわけのわからないエビデンスに振り回されて本来なかったはずの絶望に煽られて得た気になった奇跡もいいけど自発的に感じて向き合って乗り越えて得た奇跡の方が価値があるよということです
お医者さんを否定するわけではないですが彼らにも立場上言えないことがあります
現役の開業医より元医師のライブ配信者の方がキレキレだったりします
とある医療法人の理事長はこんなことを言っていました
「人を殺すのは病気より医療行為(医者のアドバイスを含む)の方が圧倒的に多い」
それぐらい自分の責任で主体的に生きている人が少ないということです
現代日本は”死にたい”とつぶやいたことがない人が少ないような状況です
人生に絶望している誰か、すなわちあなたやあなたの大切なひと、あるいは大谷翔平の元通訳のアノ人や彼の大切な人へ
その絶望は大切にした方がいいですよ
絶望と奇跡はセットです
あなたがクヨクヨしながらも明日を生きていくことを願って。